11月1〜3日まで、久しぶりに新潟の実家に帰っていました。
新潟には、去年の12月以来なので約1年ぶり、
実家には約3年ぶりです。
実家にはもっと早く帰りたかったのですが、コロナの関係でなかなか帰れる状況ではありませんでした。
(こういうことって、地方ほど厳しいのかもしれません。)
1〜2日は新潟市内、
2〜3日は実家。
「意味のないことは、起きない」と言われている通り、この帰省には、いろんな出来事が起きました。
不思議なこともあれば、
「ああ、私はこれからこういうお仕事やお役目があるんだな…」
と、深く認識させられることも、多くありました。
私が引き受けることになる「お役目」について、新潟に帰省する前からいろんなサインやメッセージを、見えない存在からも、メンターの方始め、いろんな方から気づかされることもありました。
実際に新潟に行って、
「ああ、そういうことか」と得心がありました。
普段、神様や仏様から呼ばれて神社やお寺に行ったりするのは、また違う感じでした。
新潟に行っている時は、とにかくその場面その場面を感じ切ること、為すことに全力を注いでいました。
神奈川の自宅に帰り、ゆっくり休みながら旅の後始末をしていると、ジワジワといろいろ「その一つ一つの意味」に気付く感じで。
いつも旅の後はそうなのですが、この「意味」や「気づき」は、これからもどんどん出てくるものなのでしょうね。
そして、そんな「気づき」の機会をいただくのは、
「いつだって、人様からいただくご縁」なんじゃないのかな、と思います。
今回の帰省も、実家の家族や、約30年ぶりにご縁が再び繋がった高校時代の同級生の存在なくしては、何も起きなかっただろうし、私も新潟には呼ばれなかったんだろうな…と思うことが何度もありました。
実家の家族や同級生には、深く感謝をしています。
「何かの気づきを得たい」という人は多いです。
しかし、その気づきを得ることを勘違いされている方は多いです。
「とにかく本を読んだり、セミナーや講習に出て、勉強や学びをする」
「自分の頭の中でごちゃごちゃと考え、無理矢理何らかの意味づけをする」ことでは、
「大事な気づき」はまず得られません。
むしろ、上記のようなことは「気づき」から一番遠のいてしまう行動の一つなんじゃないのかな、と感じます。
そうではなく、「大事な気づき」は「リアルな現実」の中にたくさん散りばめられているように感じます。
あなたは、今目の前にある生活と人生から、本当に目をそらさずに生きていますか…?
自分で自分を誤魔化すような生き方を続けていませんか…?
「心の目が曇らない、クリアで清々しい生き方」をしていきたいものですね。
心と、命を大切に。
また、メッセージをお伝えしていきますね。
どうぞお楽しみに。