愛が強すぎる人は、それゆえに、
「相手(あなた)のため」という大義名分のもと、
自分の考えや価値観を押し付けがちなところがあります。
ご本人としては、必死なのかもしれませんが、
それは、本当に「相手のため」や「相手の立場や気持ち」を思っての言葉でしょうか…?
それは「本当の優しさ」なのでしょうか…?
もし、今あなたがそういう状態であるとしたら、 必死になってしまうのはなぜでしょうか…?
「相手に自分と同じ失敗はさせたくない」から、
「相手にとっておきのいい情報を教えてあげているいるつもり」だとしたら、
それは「愛」や「思いやり」として受け止められることはかなり難しいでしょう。
なぜなら、そういう場合は、
・言わなくてもいい、余計なことを言い過ぎていたり、
・相手を不安にしたり、憂鬱な気分にさせてしまうようなネガティブな波長がこもった言葉だったり、
・「思いやり」や「親切」を大義名分にした、「攻撃的な言葉やエネルギー」を相手にぶつけてしまっている
・自分が言ったことや考えていることに対して、相手に共感や同調を求めている
…場合が多いからです。
あなたにあれこれ言われても、 相手は一応は大人なので、 表面的には「教えてくれてありがとう」とは言うかもしれません。
しかし、同時に
「これからもこの人(あなた)にいろいろ教えてもらおう」とか、
「この人と仲良くしたいな」 とは思わないでしょう。
むしろ、
「この人には、自分のプライベートや私的な部分を話さないほうがいいな」
「厄介な人だから、あまりこの人とは距離を詰めないようにしよう、一定の距離や境界線を置いた上での付き合いをしよう」
と思うことでしょう。
こういった方は、実は愛があるゆえに暴走しやすく、こういった否定的な形で相手に受け止められてしまうのは、勿体無いしお気の毒だな、と感じます。
なぜこうなるかというと、 本来のベクトルや方向性、在り方に、愛が向いていないからです。
本来の愛の方向ではなく、
相手に認められること、
周りから「すごい」等賞賛されること、
自分に共感や同調をしてもらうこと …にエネルギーを使い過ぎているからです。
相手が、自分が言ったことをどう受け止めるか、どう反応するかは、相手の自由です。
そして同調を強要されればされるほど、人は嫌だと感じるものです。
たとえそれが、あからさまなものではなく、暗にアプローチしたものでも。
むしろ、暗に、水面下でそういうふうに仕向ければ仕向けられるほど、相手としては息苦しく感じ、嫌になるものです。
それなのに、自分が望んだ通りの反応を相手がしてくれなかったからといって、相手を非難するのは、筋違いです。
こういう場合、今、取り組まなければいけないことは、 相手を非難したり否定することではなく、
「おかしくなった自分のベクトルややり方、人との接し方」に気づき、修正していくことです。
こういった方は、ご自身の愛を本来の方向性に使えるように整えると、 周りともうまくやれるようになりますし、人生のトラブルが減っていき、 楽に、穏やかに生きられるようになっていきます。
自分の心が迷子だな、この辺で修正していきたいな、と感じた方は、こちらをどうぞ♪
「愛が強すぎる人」に起きがちなこと