9/29〜30は、3ヶ月ぶりに旅に出ていました。
前回は、同じ神奈川県の西丹沢でした。
今回、旅に出た場所は、2年ぶりの京都。
前回は、コロナの第一波が落ち着いた頃、2020年の7月でした。
いつも旅に出るきっかけは、
「ここに行ってみたいから」と自分で決めるわけではなく、
「降りて来る」んです。
そう「降りて来る」。
ある時期を境に、「そこへ行きなさい」と神様からメッセージがバンバン降りてきます。
そんな時は腹を括って、
「ああ、ここに呼ばれているから、今回はここに行かなきゃいけないんだな。」
と、粛々と新幹線や飛行機、ホテルの予約を取ります。
「○○のご利益があるから」
「❌❌の意味があるから」とか、そういうんじゃないんです。
ただ、「行きなさい」とメッセージを受け取ったから、素直に、謙虚な気持ちで行かせていただく。
ただ、それだけなんです。
そういう時、例えば、以前は旅費とかに使えるお金がない時期もあったのですが、
「いや、呼ばれてるのはわかるけど、そうは言っても、なんせ先立つものがないんですよー!
旅費がなかったら、いくらそちらから呼ばれても、私が行きたくてもいけませんやん!!
私を呼ぶのなら、そちらに行けるように旅費をください!」
と神様にお願いすると、きっちりと旅費の分だけ、なぜかお金が入ってきたり。
そんなことがよくあったので、
「ああ、呼ばれたからには、現実的なことは気にしないで、神様にお任せして、とにかくここに行けばいいんだな」
と学習しました(笑
私は、旅の動機や目的を、
「○○のご利益があるから」
「❌❌の意味があるから」とかそういうことにしないことって大事なんじゃないのかな、と思います。
「こういうご利益(トク)があるからいく」
「あそこはあまりご利益がなさそうだから、有名じゃないから行かない」
はっきり言ってしまうと、
それってただの損得勘定になってしまいますよね…?
損得勘定やご利益が目的の旅は、あまりにも味気なさすぎるし、
そういう損得勘定、「自分だけが得をしたい」っていう根性で行ってしまうと、
どんなパワースポットに行ってもあまり意味はないんじゃないのかな、と考えています。
今回の旅でも、そういう目的で行った人が、どうなってしまうのかをまざまざと目にした時がありました。
(続きのコラムか、結構濃い話なので限定記事で書きますね!)
旅は直感で、思い切り楽しむこと。
そして、スケジュールをあれこれ詰め込みすぎないこと。
そうすると、その旅や場所の醍醐味、そして「その旅の、真の意味」を知ることができるんじゃないのかな、と感じます。
今回もそうですが、「なぜ今回京都に呼ばれたのか?」、旅の理由や意味を感じるのは大体帰りの新幹線に乗ってしばらく経った頃です。
こちらに帰ってきてからも、またあらたにドドドド〜っと、
「こういう意味だったのか!」
と知ったり。
(意味意味って書くと、頭でっかちな感じであまり好きではないのですが…語彙力が少なくごめんなさい^^;)
帰ってきてからは、旅で感じたもの、天啓のように気づいたこと、ダウンロードしてきたものを実践するのみ。
また皆さんにもシェアしますね。
どうぞお楽しみに!